台湾のローカル線・集集線の旅・その2「車埕駅でレトロに浸る」
こんにちは!
今日は車埕駅の周りをご案内します(世界の車窓から風に)。
車埕の駅を降りると、
まず目に入るのはどこか懐かしい感じのする駅舎です。
この駅舎は、昨日もちょっと触れましたが、
1999年の九二一大地震の後に建て替えられた駅です。
「車埕」という駅名は、「駅」とか「停車場」みたいな意味らしく、
昔はこの駅からたくさんの木材を搬出していたそうです。
そんなわけで、この駅もたくさんの木材を使って作られています。
改札口の様子はどこか日本の
古き良き田舎の小さな駅を感じさせてくれます。
この駅には駅員さんはいませんが、
台鐵から委託を受けた役場の人たちが、
売店の商品販売と一緒に切符の販売も行っています。
切符売り場をのぞいてみると、売っている切符が硬券!!
(硬券とは硬くて分厚いボール紙みたいな懐かしい切符のことです)
この切符を整理しておく物(名前なんだっけ…)も、
とても懐かしい雰囲気です。
駅を出ると、左手に昔の鉄道官舎の建物が保存されています。
しかし、残念なことに、今年(2013年)の1月に不審火があったらしく、
一部の建物が周辺の民家を巻き添えにして燃えてしまったらしいです。
現在も、捜査が行われているとのことで、
私が行ったときは保存されている建物に近づくことができませんでした。残念…。
気を取り直して路地を進んでいくと、
これもどこかタイムスリップをしたような、
そんな懐かしい雰囲気がぷんぷん漂っています。
先日ご紹介した木桶便當車埕小飯店は、この路地の先にあります。
集落はこんな雰囲気のレトロな街並みが続きます。
最近になって観光地としての整備が行われたらしく、
レトロな雰囲気も楽しめつつ、新しい設備も兼ね備えています。
林業の歴史を紹介する博物館なんかもあり、セブンイレブンもありました。
こちらは木材の搬出が行われたところのようです。
写真を撮るのを忘れましたが、貯木場なんかもありました。
歩いていくのには距離がありそうですが、駅の奥の方には立派なダムも見えました。
車庫の後には、日本統治時代の台湾のガイドマップというか、
鳥瞰図が展示されていました。
写真では台北や淡水などが紹介されています。
台湾が日本だったころ私たち日本人は、
台湾でどんな旅をしてたんだろうとそんなことを考えました。
そして、ここが集集線の本当の終点。
車止めと一緒に「終点」の表示があります。
赤さびたレールが郷愁を誘います。
駅は改札口こそあるものの、オープンスペースというか、
広場のようになっていて、昔の貨物車両や機関車などが展示されています。
この文章をお読みになってお分かりいただける通り、
特にここには何かものすごい珍しい景色とかがあるわけではありません。
でも、この町全体がこの一帯の産業や歴史の大きな博物館のようで、
私はこの町が好きになりました。。
この町にあるものは、普通の博物館にあるどこか死んだような展示物と違って、
まだ人の営みのぬくもりが伝わってくるような、
そして、私たち日本人がどこか懐かしくて、
まるでここに来たことがあるようなデジャヴを覚えるような場所でした。
車埕は、小さな集落ですし、お弁当を食べて、
次の電車が来るまでの1時間半くらいの間
ブラブラするくらいがちょうどいいと思います。
(お弁当を後にして、列車の中で食べるという選択肢もあります。
ただ、列車は基本的にロングシートの列車なので、ちょっと食べづらいかも…)
さて、列車の出発時間が近づき、
車掌さんが時計とにらめっこを始めたようなので、
私も列車に乗り込みたいと思います。
明日は集集駅へ向かいたいと思います。今日はこの辺で!